SHIROのIchigoJam日記

マイコン「IchigoJam」(イチゴジャム)の電子工作とプログラミングをメインに

ポメラの牙

ポメラを飼い始めて数日、連れて歩いてたくさん触れている内に、ずいぶん仲良くなれた気がする。
もともとポメラを買った動機は「ちょっと空いた時間にテキストを打ちたい」だった。
例えば、馴染みの中華屋で夕御飯の定食が出てくるまでの間、コインランドリーで乾燥機を回している間など、無性に文章を打ちたくなることがある。
私は物書きではないが、本業の情報センターでの講座の内容を考えたり、地域づくり関係の会議の議事録を作ったり、運営する少女マンガ情報サイトのレビューを書いたり、文章を打ちたいことはたくさんある。
そして、目の前にパソコンが無い時に限って、いいキーワードやフレーズを思いついたりするものだ。そんなうたかたの思いは、その場で打ってしまわないとすぐに消え去ってしまう。
新しいパートナーの黒ポメラは、忘却の彼方に放り投げてしまった自分のアイデアを、走って探し出してくわえて来てくれるかもしれない。そんなことを密かに楽しみにしている。

ポメラをゲットして以来、評判が気になってネットをあれこれ検索して見ている。
発売元のキングジムは、「ビジネスマンが会議中にメモを取る」といったニーズを想定していたようだが、ふたを開けてみるといささか違う様相を呈している。
「こんなマシンを待っていたー!」と絶賛しているのは、ライター、記者、小説家など、物書きを生業にしている人たち。やはりどこでも素早く文章が打てることがポイントらしい。
そして、これまでモバイルギアZaurusPalmなどのPDAやハンドヘルドPCを使ってきたマニア層は賛否両論。「キーボードは秀逸」「でも値段が高すぎ」「通信できない」「CAPSとCtrlが入れ替えられなきゃ…」「8000文字で制限って何考えてるんだ」「2が出るまで様子見」などなど、一部分では評価しながらも結局「購入」ボタンをポチれない、という人が多い。

そんな中、mixiのコミュニティで「PCや携帯はネットにつないで情報をインプットするデバイスだが、ポメラはアウトプットするためのデバイスだ」といったことを書いた人がいた。なるほど!と私は膝を打った。
話が少し横道へそれるが、私は本業の情報センターで「子どもと携帯電話」という出前講座を行っている。携帯を使っていて起こる様々な問題やその対策について、地域の自治会で保護者・大人向けに話したり、小中学校で子ども達に話したりしている。
子どもの携帯の問題については様々な所で取り上げられているが、一方では技術論から入ってフィルタリングやサイバーポリスの話に終始し、他方ではよくわからない保護者達が「子どもは携帯禁止」などと叫んでひたすら否定してみたりする。
私は趣味で心理学やカウンセリングの勉強をしているので、「携帯の問題は、子どもの心の問題が表に現れた結果に過ぎない」と思っている。そのため講座でも、「自分自身を大切に」「子どもの心に向き合いましょう」などと心の問題に重点を置いて話すことにしている。
横道が長くなったが、その携帯の講座で子ども達にこんなことを話している。
「皆さんは今は子どもですから、親や学校や社会から何かをもらう立場です。でも、あと何年かすれば成長して大人になります。“大人になる”ということは、今度はあなた達が自分の子どもや社会に対して、何かを与えたり作ったりする立場になる、ということです。そのことをよく考えてみてください。」
これは、カウンセリングでの「人間は成長する方向性を持っている」(C.ロジャーズ)といった言葉や、自分自身の経験から来ている。

こうした視点から考えるに、PCや携帯は、ネットからたくさんの情報を得られる、いわば「もらう」デバイスなのだと思う。
もちろんPCは文章・画像・動画など様々な作品を作り出せるし、携帯は手軽に情報発信することができるが、才能に恵まれたクリエイターはともかく、たいがいの一般人は情報やサービスを「もらう」ことの方がずっと多いに違いない。
一方、ポメラは自分からキーボードに向かって打ち込んでいかないと何も生み出さない。まさしく「与える」「作る」側のデバイスなのだ。
「もらう」ことを求める人にとっては、貧弱な、何も得られないガラクタかもしれない。しかし「与える」「作る」ことを考えるユーザーの目には、「これを待っていた!」ととても魅力的なツールに映る。
と同時に、「自分がどれだけのものを作り出せるのか」「社会に何を与えられるのか」という、ユーザーの“大人度”が試される機械なのではないだろうか。
小さなポメラから、つぶらなモノクロの瞳で見上げられ、「あなたは何が作れるの?」と聞かれたら、どう答えるか。かわいいナリをして、実は鋭い牙を隠し持ったあなどれない奴かもしれない、と最近思う。
目を合わすの怖さに、「エサ抜き」(電池抜き)なんて大人げない仕打ちはしたくないものだ。