SHIROのIchigoJam日記

マイコン「IchigoJam」(イチゴジャム)の電子工作とプログラミングをメインに

ポメラで書きました『正しさの使い方』

※この文章は、mixiのコミュニティ「ポケットメモライター☆ポメラ」のトピック「ポメラで書きました」に掲載したもののコピーです。

 前回の『注意一行、ケガ一生』に続いて、情報センターに来るメールでもう一つ、考えさせられるタイプについて書いてみたい。
 情報センターでは「デジタルアーカイブ事業」をしていて、地元の美術館・博物館などの公式サイトや、地域の文化史跡などの情報を集めたホームページを制作・運営している。
 もちろん内容には正確を期して作っているのだが、情報量が膨大なので、時に間違いが発見されることもある。大概は市民から間違いを指摘するメールが来て、こちらもようやく気づく。
 そんな間違いを指摘するメールでも、「指摘するだけ一行メール」が多いのだ。
 いわく、


○○のページの△△という部分は間違っています。
 これだけしか書いてない。
 先の文に書いた「聞きたいことだけ一行メール」と同様に、こちらからすると「あなたはどこの誰ですか?」と聞きたくなる。
 私としてはやはり何か言わなければなるまいと考えて、「ご指摘ありがとうございました」などの後に、「初対面の人にメールを出す時は…」と小言を付け加えて返信することにしている。
 ところが、ここで「聞きたいことだけ一行メール」とは違うことが起こる。間違い指摘メールの送り主はたいてい謝罪しないのだ。「ここがこう間違っている」とさらに詳しく指摘してくることもあれば、全く返事が来ないこともある。
 つまり、相手は「間違いを指摘したんだから、自分は正しいことをしている」、もっと言えば「間違いをするような奴に礼を尽くす必要はない」と考えているようなのだ。
 私が考えるに、これは学校教育の悪影響ではないだろうか。
 学校のテストだったら、間違いを指摘すれば○をもらってOKである。そして間違った子には、時に居残りや宿題などの罰が与えられたりもする。
 そういう環境で育ってくれば、「正しいことを言えば何をしてもいい」「間違った奴に対しては何をしてもいい」などと学習してしまいかねない。
 しかし、現実社会は違う。現実の人間関係では「正しいことを言う」よりも「よりよいことを実現する」ことの方が大事なのだ。
 いくら口で正しいことを言っても、それで人に迷惑をかけたり、傷つけたり、今以上によりよいものを作れないのなら、意味がない。
 ネットのメールや掲示板などで人を傷つけることを書いてしまう「ネットいじめ」が最近問題になっている。
 例えば誰かが掲示板で、

 これって○○だよね
と書いて、それが間違っていた時、

 △△だろ、バーカ

 厨は逝ってよし
などと周囲から袋叩きに遭うことがある。
 この場合、周囲の人は「言っていることは正しいが、やっていることは間違っている」、あるいは「言っていることは正しくても、正しさの使い方を間違えている」ということになってしまう。
 心理学・カウンセリング方面から考えてみると、これは「自分が正しい」立場を利用して相手を攻撃することで、自分の日頃の不満を解消しているのではないだろうか。攻撃を受けた相手も不幸だし、本当に求めているものに気づけない自分自身も不幸である。
 正しさは時に人を傷つける武器にもなる。正しいことを言う前に、それによって何が起こるのか、何のために言おうとしているのか、一歩立ち止まって考える必要があるのではないだろうか。
 正しいことは「知識」さえあれば誰でも言える。相手や自分の幸せのためによりよく正しさを使えるようになるのが、本当の大人の「知恵」なのだと思う。
2008/12/04 18:31
Pome-write by shiro