ここまで大人の皆さんへのメッセージをいろいろ書いてきました。
これは携帯の問題に限らず、子どもの教育問題全体に関わるのですが、一番ベースにあるポイントは、
子ども達のために、大人がまず自立しましょう。
ということです。
私が主に学んだ人間性心理学の祖と言われるカール・ロジャーズは、「人間には成長する方向性がある」と言っています。人間は子ども時代だけでなく、大人になってからでも自立に向かって成長する本能があり、それが自然の摂理なのです。
「自立」と言うと、一般的には「自分のことが自分でできるようになる」とか「自分でお金を稼いで生活する」などがよく言われるのですが、そうした「個人としての自立」に加えて、「社会人としての自立」があるように私は思います。
「もらう側」から「与える側」「創る側」へ
人間は子どもの頃は、親や学校や社会からいろいろなものを「もらう」立場です。子どもは大切に保護され、育ててもらう権利がありますから、これは当然です。
そこから成長して「大人になる」ということは、今度は自分が周りの人達や社会に対して、何かを「与える」「創る」側になるということです。
(図1・社会人としての自立)
よく、「大人になる」というと、「社会のルールや常識を覚える」ことが言われるのですが、ルールや常識を「知識」として覚えるだけなら簡単です。
先の記事で、掲示板で間違ったことを書いた時に、周囲から袋だたきに遭ってしまうケースについて書きました。
間違いを叩いてしまう周囲の人は、言っていることは正しくても、やっていることは間違っています。正しい「知識」はあっても、より良い社会を創るための「智恵」になっていないのです。
「知識」を「智恵」に昇華させていくことが、社会人の自立として問われるのだと思います。
「行政はサービス業」から「市民協働」へ
「市民と行政」という別な視点から考えると、かつては「行政はサービス業」「市民は顧客」などと言われ、行政は市民に対してできる限りの行政サービスをして、住みよい社会を作っていかないといけない、とされてきました。
しかし、その認識はもう古いです。せいぜい80年代から90年代の話です。
21世紀の今は「市民協働」の時代です。市民と行政が対等な立場で、車の両輪のように互いに協力しながら働いて、地域社会を作っていかなければいけません。
(図2・21世紀は市民協働の時代)
私は情報センターに勤める準公務員(正確には団体職員)の身ですが、市民からの相談を受けていると、どうも「行政は市民にサービスするのが当たり前」「自分達はサービスをもらう側」という感覚で来られる方がいます。
行政は市民から税金を集めて作られた組織で、市民に対してより良いサービスを提供する義務があります。それは確かです。
しかし、市民が「自分達はサービスをもらう側」と言うのは、上の(図1・社会人としての自立)で言えば、「自分達はもらう側の『子ども』である」と言うのと同じです。
例えば、あなたは自分の子どもから「あれ買って〜」とねだられた時、何でも好きなだけ買ってあげますか? あげませんよね。
それは、「家の経済状態から考えてそんなに無駄遣いできない」とか「ガマンすることも覚えさせなきゃ」といった、「大人の判断」が働くからです。
市民と行政の関係も同じです。市民が「自分達はもらう側」の子どもの意識でいたら、「あれをやれ」「これをくれ」と要望を出しても、行政(親)からは「子どものワガママ」とみなされて、「予算も限られているし、大人の判断でそれはできない」と返されてしまいます。
(図2・21世紀は市民協働の時代)のように、自分達も行政と共に地域社会を作っていくのだという「自立した社会人の意識」を持って、「自分達はこれをやるから、行政はこれをやってくれ」と対等に物を言わないと、一人前の「大人の意見」として聞いてもらえません。
100の批判より1の実践
社会の中で何かを実現するには、必ずお金や労力などがかかります。何かをプラスにするためには、どこかで必ずマイナス面が出てくるものです。
(全てプラス面だけで済むのなら、とっくに実現されているでしょう)
子どもと携帯電話の問題についても、物を言う人はたくさんいるのですが、それを実現するために生じるお金や労力などのマイナス面を、少しでも自分が引き受ける覚悟をして物を言えるかどうかが、大事なのだと思います。
「子どもは携帯禁止」と言う方、もし携帯を取り上げられたら子ども達がどんな気持ちになるかわかりますか? そんな子ども達に、携帯の代わりに何をしてあげられますか?
「ちゃんとした情報教育が必要だ」と言うあなた、学校や行政に「やれ」と言うだけでなく、自分で地域の子ども達に携帯の良い使い方を教えられますか? その労力や費用を一部だけでも担うことはできますか?
自分が何もしなくていいなら、誰でもいくらでも良いことは言えます。しかし、評論家は100人いても何も生み出しません。1人の実践家は1人分は必ず何かを生み出します。
「そんな、私なんて何もできないわ」と思うかもしれませんが、具体的に社会に対して何ができるか、何が創れるかは結果に過ぎません。「もらう側」ではなく、社会を「創る側」になる意識を持って動くことが大事なのです。例え大したことができなくても、次への踏み台として無駄にはならないでしょう。
…と偉そうに言っている私も、口で言うばかりでなくて、子ども達のために実践をしていかないといけないですね。
出前講座「子どもと携帯電話」や地域づくり活動などを微力ながら行っているのですが、地域社会を担う大人の一人として、これからも頑張っていきたいと思います。
最後に
以上で「大人の皆さんへ」シリーズは終わりです。乱筆・乱文を最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
さて、この後はいよいよ、携帯を使っている現役世代の子どものみなさんへ向けて、私からのメッセージを書いていきたいと思います。「やっぱり大人って全然わかってない」と言われてしまうかもしれませんが、読んでいただけるとありがたいです。
大人の方はもちろんですが、「子どもはこう思ってるんだよ」という現役世代からのコメントを歓迎します。そもそも子どものみなさんのために何ができるかが一番大事ですので、私も書きながら勉強させていただきたいと思います。よろしくお願いします。