子どものみなさんの中には、今受験のまっただ中、あるいはこれから受験を控えた人もいるでしょう。
私たち大人はよく「勉強しないと落ちちゃうぞ」「失敗したら大変だ」などとおどかしたりします。
しかし、受験ってそんなに大変なものでしょうか? ちょっと考えてみましょう。
私はサッカーや野球などのスポーツ観戦が好きなのですが、スポーツに例えれば、人生は長いリーグ戦です。
サッカーのJリーグや、プロ野球のペナントレースのようなもので、年間何十試合もこなして、最後に総合成績で優勝が決まるものです。
しかし、どうも私たち日本人は、人生を高校野球のような「一度負けたら終わり」のトーナメント戦のように考えてしまいます。ですから子どもの受験についても「ここで落ちたら大変だよ」とおどかしてしまいます。
これはなぜなんだろう?と考えると、日本人は自分の人生の中に「負け」や「失敗」があることに耐えられないのじゃないか、あるいは他人が失敗することを認められないのじゃないか、と私は思っています。
一般に欧米人は、トーナメントのカップ戦よりも長期のリーグ戦を重視して、そちらの優勝者を「真の王者」と考えるそうです。ヨーロッパは陸続きの隣国同士で戦争をして、お互いに勝ったり負けたりすることを繰り返してきました。そんな歴史背景から、「互いにすねに傷を持つ身だし、生きていれば勝つことも負けることもある」といった認識があるのではないでしょうか。
それに対して日本は、はっきり「負けた」歴史は太平洋戦争くらいなので、伝統的に「負ける」「失敗する」ことに慣れていないのかもしれません。
今は生涯学習の時代です。高校や大学で人生が決まるわけではありません。
受験は確かに大きな試合ですが、人生では他にも勝負はたくさんあります。大人になってからも、生きて仕事や生活をしている限り、毎日が試合のようなものです。
そして人生のリーグ戦は、一番最期の死ぬ時になって「いい人生だった」と自分で思えれば優勝なのです。途中の勝率は関係ないし、他の人がどう評価しようと関係ありません。ましてやメディアが言う「勝ち組」「負け組」なんて大きなお世話です。
ちなみに私が住んでいる長野県は、「出身高校で人を見る」という悪しき伝統があります。その後の進路や経験などは全く関係無しに、「出身が○○高校」というだけでその人の「程度」を判断してしまう傾向があるのです。
今は、大人になってからもいろいろ勉強していく「生涯学習の時代」ですから、こうした悪しき伝統は、これから変わって行かなくてはいけないのだと私は思います。大人になってからも学んで成長する機会はたくさんあるし、そもそも「どこの学校に行ったか」ではなく「そこで何を学んだのか」「どんな経験をしたのか」が大事なのですから。
私達大人も頑張らないといけないのですが、これから大人になるみなさんが、おかしな伝統や価値観を変えていってください。自分自身のために、そして未来の子ども達のために。
かつてサッカー日本代表の監督だったイビチャ・オシム氏は、「サッカーは人生のようなもの。雨の日もあれば雪の日もある」と言いました。(彼は旧ユーゴスラビア出身で、家族と離ればなれになってしまうような激しい内戦を経験しています)
人生では勝つ時もあれば負ける時もあります。うまく行く日もあるし、大失敗して後悔する日もあります。みなさんの周りにいる大人達だって、「今まで一度も負けたことがない」「失敗したことがない」なんて人は、きっといないでしょう。
ちなみに偉そうにこんな文章を書いている私は、高校までは一応優等生でしたが、大学に入ってから落ちこぼれて、1年留年しました。卒業時に長野県の高校教員採用試験を受けましたが落ちてしまい、仕方なく都内のメーカーに就職しました。数年後に情報センターにUターン転職して、今に至っています。いろいろ失敗や回り道をしてきましたが、その中で旅に出たり、カウンセリングスクールに通ったり、いろいろな経験をしたので、無駄ではなかったと思っています。
ですから、負けないこと、失敗しないことが大事なのではありません。勝ったり負けたりしながら、そんな自分の人生をどう大切に生きていくかが大事なのです。