最近は「学校への携帯持ち込み禁止」といった声が行政や保護者から多く上がっています。そう言われる理由の一つが、学校裏サイトなどの掲示板やメールでの「ネットいじめ」防止です。
しかし、ネットいじめは現実世界のいじめの延長で起こるもので、携帯やネットはいじめの原因ではなく、手段に過ぎません。そして、ネットいじめは放課後も夜も24時間続くものなので、学校だけ携帯持ち込み禁止にしても意味がない、それでは防げない、と私は思っています。
先日、P-NEST社から『女子中高生の「学校へのケータイ持ち込み原則禁止化」に対する意識調査』というレポートが出ました。
それによると、女子中高生へ「携帯の学校への持ち込みがイジメにつながっていると思いますか?」と質問した時の回答は、以下のようでした。
携帯をたくさん使っている現役世代だけに、「携帯」と「いじめ」は別のことだとよくわかっていますね。
「携帯禁止」と言ってしまう大人の方が、問題の本質を全然わかっていないのです。
さて、そのネットいじめの問題について、心の問題の面から少し考えてみます。
掲示板での書き込みの例とその心理については、先の大人向けの記事で書きました。
ネットに限らず、現実世界でのいじめもそうなのですが、そもそも子どものみなさんが多くのストレスを抱えて生きている現状があります。
メールや掲示板で人を傷つける言葉を書いてしまうのも、そうしたストレスの発散の結果でしょう。
本当は私達大人が、「携帯禁止」「学校裏サイト禁止」などと表の目に見える現象を取り締まるのではなくて、子どものみなさんがストレスをためずに幸せに生きていけるような環境をまず作らないといけません。
これは、私もふくめて、大人側が反省して、改善していかないといけないことです。
と同時に、子どものみなさんに考えて欲しいと思うのは、自分のストレスを他の人に押しつけたり、ただ発散させてしまうのは、実はとても不幸なことだ、ということです。
先の記事で「人生は長いリーグ戦」という話を書きました。生きていれば、勝つ時もあれば負ける時もあります。嬉しい時もあれば悲しい時もあります。そうした山や谷、アップダウンがあってこその人生です。
悲しいことやつらいことを避けて楽しいことばかりを追い求めていると、本当に楽しいことには出会えないのです。落ち込むのが嫌だからと谷を埋めてしまえば、山も無くなって何もない平原になってしまいます。
また、「嫌な気持ち」というのはとても大事です。
なぜなら、「自分にとって大切なものは何か」を教えてくれるからです。
例えば、自分の書いた絵や文章を、ある人から「何だこんなもの」と言われて、すごく嫌な気持ちになったとします。
「そんな風に言われたくない」と思うなら、それは自分にとって「大切なもの」「守りたいもの」であるはずです。他の人から見たら「こんなもの」でも、自分にとってはとても大切なものなのです。
自分のことは案外自分自身ではわからないものなのですが、こうした「嫌だ」と思う気持ちは、「楽しい」と思う気持ちと同じく、自分の中の「大切なもの」を知る手がかりになります。
そして、自分の大切なものを傷つけられた、汚されたと思ったら、怒っていいですよ。
この辺りのことは、「あなたはあなたのもの」の記事で書いたパット・パルマーさんの本にも書いてあります。よかったら読んでみてください。
パット・パルマ−「自分を好きになる本」
パット・パルマ−「おとなになる本」
パット・パルマ−「夢をかなえる本」
同時に、メールや掲示板などで、他の人の意見や作ったものなどを、簡単に否定しないようにしましょう。
あなたにはつまらない、あるいは間違ったものに見えても、その人にとってはとても大切なものかもしれません。そこにこめられた気持ちも含めて、ちゃんと受け取ってみましょう。
自分を大切にすることと、他人を大切にすることは、イコールです。表裏一体です。