SHIROのIchigoJam日記

IchigoJamの電子工作とプログラミングをメインに

「携帯禁止」に物申す:(11)まとめ〜「携帯禁止」は大人の手抜き

 「携帯電話の問題は、子ども達の心の問題が表に現れた『結果』に過ぎない」
 「安易に『携帯禁止』にしてはいけない」
 と繰り返し書いてきました。
 これは少し考えればすぐわかりそうなものだと私は思うのですが、逆にこれだけ「子どもは携帯禁止」と世間で大きく言われてしまう背景には、実は大人側の意図や利害が隠れているように思います。

学校・行政…勉強以外のものは排除したい+情報教育はなかなかできない

 学校は、当たり前ですが勉強をする目的で作られた所ですから、逆に勉強以外のもの、勉強を邪魔するものは、携帯にしろゲームにしろ、できるだけ排除したいという意図があります。
 そして、携帯やネットについては先生の中でもよく知らない人が多く、ちゃんとした使い方を教えることがなかなかできません。授業時数がキツキツで余計な内容を入れられない、予算が無くて教材が買えない、といった物理的な制約もあります。
 また、行政側も携帯やネットについて知識が無い+予算が無いので、情報担当教員の増員や情報教育のカリキュラム作成などの施策がなかなかできない現状があります。
 そのため、「ちゃんと情報教育をしよう」と言う前に、「携帯禁止」などと「とにかく禁止」してしまう傾向があります。
 一般市民としては、学校や行政の言うことを鵜呑みにするのではなく、そうした「大人の事情」が裏にあるのだと思って聞かないといけません。
 なお、多くの学校や行政施策で言われているのは「学校への携帯持ち込み禁止」で、各家庭の判断で子どもに携帯を持たせること自体は制限していません。「子どもに携帯を持たせるな」などと、学校や行政が自由な消費行動を制限したらそれこそ大問題です。

保護者…自分で責任を取りたくない

 例えば夕御飯の時、子どもが携帯を手放さずにひたすらメールを打っていたり、ネットを見ていたりすると、親は「携帯に邪魔されている」と感じるようです。せっかくの家族団らんの時間に、携帯という悪者が侵入してくるように思えるのでしょう。
 でも、もし携帯が無かったとしたら、子どもとちゃんと向き合っていいコミュニケーションができるでしょうか。それだけの親子関係ができている自信はありますか?
 我々大人はとかく「自分は正しい」「自分は悪くない」と思いたいものです。子育てに関しても「自分は正しい子育てをしている。そこに侵入してくる携帯が悪い」などと、悪い事は自分以外の物のせいにしたいのです。
 また、学校や行政で「携帯禁止」と言ってくれれば、子どもに対して「学校で/行政で携帯禁止って言ってるから、うちでも禁止」と言う事を聞かせられるし、自分で責任を取らなくていいので楽ちんです。
 しかし、一人の大人である以上、自分の言うこと・やることには自分で責任を持たないといけません。
 携帯を手放さない子どもも、自分の子育ての結果です。親として子どもへ願いや希望を持つのは自由ですが、それに合わない現実でも自分の責任としてちゃんと受け止めなければいけません。
 私達人間は神様ではありませんから、間違いや失敗は誰でもあります。間違えない・失敗しないように努力するのも大事ですが、一番大事なのは、間違えたり失敗したりした時に、その結果と責任をちゃんと受け止めて「じゃあどうするか」と次へ進んでいくことなのだと思います。

まとめ

 まとめると、「子どもは携帯禁止」というのは、実は大人の手抜きなのではないでしょうか。
 「禁止」と言ってしまえばそれ以上何もしなくていいし、自分で責任を取らずに携帯のせいにしてしまう方が楽なのです。
 しかし、大人がそうやって楽をしてしまうと、割を食うのは子ども達です。そして、その子ども達が大人になる頃には、社会はもっと悪い方向へ進んでしまうでしょう。
 「携帯禁止」と言う前に、我々大人がちゃんと子ども達の気持ちに向き合ったり、携帯の使い方や付き合い方を教えていくことが必要なのだと私は思います。
 「子どもなんて仕事してる訳じゃないんだから、携帯なんて要らないだろう」。
 先の記事で書いた、こんな中高年男性に、ここでちょっと反撃してみましょうか(笑)

 「逆にお聞きしますが、あなたはタバコを吸われますか?」
 「吸います」
 「もし子ども達から『ケムいし、臭いし、体には悪いし、タバコなんて要らないだろう。タバコ禁止!』って言われたら、止められますか?」
 「………」
 「簡単には止められないですよね。『タバコは体に悪い』なんてわかっているけど、やっぱり吸いたい気持ちがあるし、吸わずにはいられない理由がある訳です。子どもの携帯もそれと同じです。大人から見たら『携帯なんて要らないだろう』と思っても、子ども達には携帯を使いたい気持ちがあるし、使わずにはいられない理由があるんです。ですから、ただ『携帯禁止』と言っても何の効果もありません。子ども達がどんな気持ちで携帯を使っているのか、どんな必要性があって使っているのか、そういうことをまず理解した上で、大人として何ができるのかを考えないといけないんです」

 「禁止」と言えば効果があるなら、「タバコ禁止」と言えばタバコを吸う人はいなくなるはずです。「いじめ禁止」と言えばいじめは無くなるはずです。
 「禁止」にすれば問題は解決する、と安易に考えてはいけません。人間はそれぞれの心や気持ちがあって動いているもので、何か言われて単純にその通り動く訳ではないからです。
 なお、たまたまタバコの例を出しましたが、よく携帯に関連して「ネット中毒」「メール依存」などの言葉が出てきますが、私はタバコのような身体的な「中毒」「依存」だとは思っていません。携帯やメールの利用は心理的な理由から来るもので、本質的に違うと思っています。
 上の例は、別に「タバコ」でなくても「酒」でも「ギャンブル」でも何でも良く、「外から『禁止』と言われても、簡単に止められるものではない」ということを言いたくて出しました。「携帯がタバコのような中毒・依存だ」と言いたい訳ではありません。誤解されると嫌なので、追記しておきます。
 私は本業の上田市マルチメディア情報センターで、出前講座「子どもと携帯電話」をやっていますが、ネットや携帯についてちゃんと話す人がもっと増えて欲しい、市民向けの啓発活動がもっと広がって欲しいと思っています。各地域で、多くの方々が活動していくことを願っています。
 なにしろ最近は「携帯禁止」の大渦に子ども達が飲み込まれてしまう勢いなので、「それは違う」と声を上げる大人がもっと必要です。今回の一連の「物申す」も、そんな願いを込めて書きました。
 また、「物申す」では、携帯を使っている子ども達に対して具体的にどんな対策をすればいいのかという話を、あまり書きませんでした。それらについては、また稿を改めて書きたいと思います。
 思いつくまま書き連ねた長文・乱文をここまで読んでいただいて、ありがとうございました。